Monday, March 09, 2026

碧空3851 nautilus2194(神経衰弱の漱石解)

3851 nautilus2194(神経衰弱の漱石解)  富へ至る道は交換であり、隠喩である。生きる問の解は、意味や価値の振りをする症状、隠喩である。  しかし、この隠喩は保存されない。生きる問の解は、不断の空振りなのである。富へ至る道(一体の種の経済)は、不断の限界の拡大であるが不断の限界の収縮と区別がつかない。解が問に反転してしまうのである。この反転はun-metamorphosisではなく、単に解は姿を現わすために問となって姿を消すのである。つまり、問は隠喩なのである。  漱石の倫敦の生活は、生きる問の、その、生きるリスクの節約になるような自由の症状としての解ではなく、周囲を見回して結局は座り込んでしまうような、足跡をそれ自体が後れて辿るというような、それは一歩も前進したことにならない。倫敦の塵埃や騒音と隔絶した、倫敦塔を尋ねても、カーライルの棲んでいた哲人の家を訪れても、同時に下宿に引き籠もっている。しかも、その胡桃の部屋を蹂躙して汽車が驀進して来る。漱石の文章の、例えば「カーライル博物館」の諧謔味は、こうした神経衰弱を打ち消すまでにコピーした対極、神経衰弱の漱石解である。

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