Monday, November 28, 2011

碧痕129 Eros、、moral

129 Eros、moral
 一体、Venus の気配を消せないということは、衰弱なのだろうか。七面鳥のBob が擬態の気配を消せない虚栄は気配を消す野心の衰弱である。しかし、Erosの野心はErosがVenus の密通の果実であるのにVenus に先立つ、その天空の気配を消すmoral であり、Venus がかかること(忽光)は天空の気配が顕れることである。それは、邪悪な気配なのだろうか。

Friday, November 25, 2011

碧痕128 土星的

128 土星的
 Laura に「運命の人」は分身して顕れて来たが、Cooperに「運命の人」は入れ替わって来てあさましがることになる。尼僧院から還俗してCooperに忽然と出現したAnnie はCarolineの媒体であるというより、CarolineがVenus の媒体である気配を(密通の気配を)消せないCarolineの写真、Cooperが肌身離せないでいる写真の、その歴史的到達・保存の頓挫であり、発芽(本質の剥奪)である。この、Venus の気配が消せない忽光に面しての模写発作が、すなわち惚恍である。Annie がEarle に拉致され「深い森」に引き摺り込まれるのも、実ハ邪悪ナ、木星(Jupiter )の媒体としてのCooperに誘拐されるのである。この、実ハ邪悪ナ、が孕む顛倒、振動に痙攣しているのが、土星的なものの媒体としてのTwin Peaksである。
 こうして、ありふれた片隅で練り歯磨き粉がチューブから絞り出されるようなBob の、或いはまた、粘り気のある液体が人知れぬ片隅でゆっくり滴るようなBob の、或いはまた、暗騒音が日々の白色の瀑布とTV画面の砂嵐に通路をつけるように忍び入るBob の、或いはまた、うまそうなご馳走が口と舌の動きで咽喉へ胃袋へ徐々に送り込まれていくようなBob の、その策略と誘導が、その、土星的なものの遍在と追跡と虚栄(衰弱)が、疫病のようにTwin Peaksを冒す。

Tuesday, November 22, 2011

碧痕127 トリック

127 トリック
 策略を以てBob が部屋に閉じ込められたのは寧ろ、気配が消せない虚栄から気配を消す野心に振れ戻る対抗策略になった。というのも、跫音が決定的に肉薄するとき、追い詰められたものは何か器官が麻痺している(歩行困難であるとか、盲、唖、聾、或いはそうではなくとも耳を聾するサイレンが鳴り響いているといった)ことでスリルは飛躍的に際立てられるものであるから、折しも図ったようにタバコの煙を感知したスプリンクラーが手加減なく水を注ぎまくったのは、追い詰められたのがBob ではなくCooperやTwin Peaksであることを密かに告げている。配管に、配管を通してTwin Peaksの水系に、その神経系の全域に気配を消して、腸管じみた配管の末端が監視網に変質しているのを漠として感じているのはCooperのみか。これは、Twin Peaksが乗っ取られる話、邪悪なものが誰とでも入れ替わる陰謀の気配に過度に接近していることであるが、差し当たってそうはならない。
 邪悪なものが煙や液体や腸管じみたBob ではなく、思いがけない実体の姿をとって顕れて来る。Windom Earle、Cooperのかつての上司にして、Cooperの「運命の人」Carolineの殺害犯(そして夫)である。
 運命と呼ばれるトリックは、その具体の極が思いがけないのに実は半ば予期されていたことを含むことにある。思いがけなくして面食らうのは単に思いがけないからではなく漠として予期されていたからである。「私」というものを脅かす気配に面してその気配こそが予期していたのであるが、「私」が漠として予期していたかの如く(二重に)打ち消されていることが、思いがけなさ、であり、「私」というものの不正なのである。それは、間に合わせに過ぎない限りでの突出であるが、この突出(不正)なくしては具体も起こらない。

Saturday, November 19, 2011

碧痕126 陶然とするTwin Peaks

126 陶然とするTwin Peaks
 擬態の気配を消せない虚栄には、擬態の気配が消えない神経衰弱や履歴改竄が照応する。「梟は見かけとは違う」が覆いかけるTwin Peaksは、制圧の事業として衰弱している。The Great Northern Hotelの竣工式のあった少年期の、父と兄弟の良き日々を保存した八ミリフィルムに水パイプでハッシシでも吸うかのように陶然とするBen は、模写能の衰弱に襲われているのであり、歴史的到達・保存が頓挫して胸が潰れ、決壊しているのである。この陶然は半解脱であるにしても、感光の癒しではなく、痙攣である。

Wednesday, November 16, 2011

碧痕125 双子のトリック

125 双子のトリック
 「Twin Peaks」がミステリとして解き難いとすれば、それは、靴の行商人Gerardの二重人格や、その片割れであるMikeのBob 検知能とBob の親近性、そしてBob の二重性(「梟は見かけとは違う」)に双子のトリックが秘められているからである。
 それは、Bob と捜査官Cooper(追い詰められるものと追い詰めるもの)にも及ぶ。互いに余計なものに似ようとする双子の霊がかかっているのであり、CooperがBob を取り逃がすのも、追い詰めるCooperが追い詰められるCooperに反転するのも、つまりミステリなのかスリラーなのか区別がつかないのもその精である。
 Twin Peaksの日常性は至るところで崩壊しかかっている。日常が反語、嘘、変装、偽造、裏切り、陰謀といったものに満ちていても、そうしたものが日常性を冒すのではない。制圧に(平均化と単純化に)倦み疲れ、どうでもよく何でもなくなり、擬態能の衰弱としての痙攣「梟は見かけとは違う」が垂れ込めるのである。環境としてのBob は、内臓的に潜むとは限らない。外骨格的に屋敷やホテル、Twin Peaks、その瀑布、その大気となっても潜伏し、人の形相(Bob )に偏執したりはしない。潜伏を以て出現する、その二重性が気配づいて懐疑が覆いかけなければ「実ハ邪悪ナ」ということにもならないものへの探求は、捜査官CooperがPalmer事件ではなく別件の被疑者になる、というように、オイディプス的捜査への逸脱と能所の逆転とが更に脱臼して谺して来ている。
 この二重の変形は、凶悪事件での逮捕を(重罪を)免れるために別の事件で服役して仮出獄を狙う、といったトリックにも転写されて影を落とす。こうした逸脱と変形は、Bob の、擬態の気配を消せない虚栄が、擬態の気配を消す野心とせめぎあうのである。

Sunday, November 13, 2011

碧痕124 実ハ邪悪ナ

124 実ハ邪悪ナ
 ヴィニール・シートに梱包された、あの、極端に私的なために窒息したLaura をRobertson は癒すのではなく、拉致する。そのようなLaura は「梟は見かけとは違う」振動をしていて、一方、死体としての何よりも公的なLaura は、この振動(Robertson )を硬直を以て抑えるかの如くである。
 Laura の日記は「梟は見かけとは違う」振動から藻掻き出ようとする。Laura を小説の材料として聴聞する隠棲的で外気に脆弱なHaroldにはJacobeとJames がLeo Johnson を除いて収斂し、Laura の顔面麻痺は半ばほぐれるが「運命の人」というのでもない。
 そこでは、魑魅性としての「梟は見かけとは違う」は、法則性としての「蘭は見かけとは違う」を擬態として鎧いかける。蘭は熱帯の植物と思われているが実はそうではなく、水と光さえあればどこでも育つ(Harold)。多種多様に変種が展開する蘭のシリーズの間に蘭が出現しては逃れさる(実ハ邪悪ナ)法則的到達・保存が頓挫しないように、Laura も極端に私的でもあれば極端に公的でもある(実ハ邪悪ナ)言葉に訴える。Robertson(Bob)はPalmer一族の守護霊のようなものとして、その顔は能面のようなものとして、気配づきさえする。そこでは、Bob はPalmer一族の内臓であり、法則である。Laura が一族の成員としてあることは、実は責めまくられた苦行で、環境としてのBob に矛盾しないことの網膜像を体表に転写すること(擬態)はLaura ではなくBob の気配を消すが、Laura を嗜被虐的に置き去りにする。しかし、これは、Laura に不正や傷としての片寄った嗜好が顕れたというより、責め苦の感染保存が顕れたのである。

Thursday, November 10, 2011

碧痕123 地表に出ている

123 地表に出ている
 Laura Palmerの冒険は、カナダ側にあって官能を代表する「片目のジャック」への越境を以て地理的に足跡を残すが、実は地理的なのではなく、一度も越境していないのに「深い森」に連れ戻される。内臓のように気配を消していた「深い森」が気配づくに過ぎないからである。
 Laura の顔はなかなか戻らなくもなれば、「梟は見かけとは違う」薄気味悪さを大気にして振動する悪魔的なものに、片目のJを精神分析医Jacobe、コカインの運び屋Leo Johnson 、そして三角関係の位置を占める恋人James とばらばらにされて顔面麻痺にもなる。死体になる前から、水底にでもいるようにヴィニール・シートに梱包されてLaura の声は窒息しているのである。
 Laura の父が一夜にして白髪になったのは局所麻酔のようなもので、Laura だけでなく母も従姉妹をも襲う幻影(Robertson の顔)が実体に転ずる。内臓のように気配を消しているものの隠喩として、かつて湖の辺で、隣に(内臓のように、身近にしかも疎々しく)棲んでいたRobertson が過ぎ去るのである。内臓のように気配を消しているものが気配づくと、それは薄気味悪く迫って脅かすが、麻酔の隙間を通り抜ける隠喩としてのRobertson の感光は、実体として記憶として幻影として、波のように広がったり打ち消しあって薄れたり重なりあって強まったり、色違いの症状のシリーズを通して、同毒療法的に癒す。一族の女たちが選んだRobertson の忽然とした出現が脅かすとすれば、それは、「梟は見かけとは違う」化に面しての、痙攣の相の懐疑発作、写真術の頓挫としての戦慄の相の模写発作である。
 Laura に肉薄しようとLaura の鮮明な写真をいかにズーム・アップしてもLaura はピンぼけで感光していない。それは、深い森の霧のなか鹿を追い詰めたはずなのに実は誘われて断崖に出てしまっている、或いは鹿を追跡していたはずなのに追い越してしまった、というふうだ。「梟は見かけとは違う」に面してLaura の痙攣が、Laura 殺害に居合わせたRonette の痙攣と同質であるか、それは疑わしい。しかし、あの、尼僧院で猖獗を極める痙攣の、その伏流がたしかに「Twin Peaks」で地表に出ているのである。

Monday, November 07, 2011

碧痕122 癒す技術

122 癒す技術
 「Twin Peaks」では、告解僧が精神分析医とコカインの運び屋に分身し、癒す技術が二つの冒険に(精神分析と局所麻酔とに)分岐している。「運命の人」は分かりにくくなる。
 精神分析は、過ぎ去っていない半抽象の衝撃が感光するように諭し、促す写真術である。局所麻酔はまた、押しのけられ眠っていた関心、衝動を呼び覚まし、幻覚として感光する。

Friday, November 04, 2011

碧痕121 ライラの症状

121 ライラの症状
 尼僧院の、機械のように刻んでいくが不分明な(嬾い)日常の代わりに、カナダとの国境近く二重性の国に犬が吠えるような威嚇、ライラの症状が顕れている。それが「Twin Peaks」(David Lynch )である。
 それは、告白でも伝聞でもなく、推理でもないが対蹠的に恐喝し、神託じみた説得であり、「Twin Peaks」は、既にあたら17の若い娘ローラをヴィニール・シートで梱包して生贄として差し出してしまっていて、殆ど放心している。殆ど、というのは、秘密を手放すというのではなく、謎解きがスリラーともミステリともつかず、その複合(thril・mystery)というのでもなく、深い森の気配を知らぬ間に呼吸して振動しているからである。
 環境としての悪魔的なものの振動が、深い森にひそみ棲むというように気配づくのは、その二重性(媒体性、隠喩性)がそのようにして分節されないではいられなくなった、しかも他の誰かの舌を通して告白しないではいられなくなった説得の衝動であり、虚栄である。