Friday, February 25, 2011

碧痕51 空の逃走

51 空の逃走
 昭和33年12月24日、公開された東京タワーの展望台を目指す行列は浜松町まで伸びていた。それは、序列であるのに、「東京音頭」が鳴る蓄音器の周りを人々がぐるぐる踊って廻る如くに、実は平均化である。この(時として富嶽の如く覚醒する)塔は、焼跡からの復興の高らかな記念碑にして境界標式には違いないが、寧ろ、戦後アメリカ的なもののキッチュとして津々浦々にコカコーラやヒメジオンのように帰化しようとした「デモクラシー」「大量消費」「文化的」等々の総括としての「一億総中流」へ、カーストを促進するフェロモンを放出した。
 「ジャズ」や「ロカビリー」といった音楽にかぶれることも、若者を脅かすものに若者は駆り立てられるという法則の平均的な運用でしかない。同じ年のウエスタンカーニバルの「失神」は、特別であることに面して誰であるかの区別なく狙われてしまうことに面してしまう、その裂目を模写するのではなく、その裂目が眠り込むことを発作的に模写する。それは、平均化の衝動であり、デモ隊一万人の、誰とでも入れ替わる一万の自乗の殺到に呑み込まれて、しかし前へ押し出されまいと足掻く空の逃走に似ている。樺美智子に生贄であることが顕れたために、その裂目が度忘れ状態になるのは、平均化の衝動が空の逃走の如く振る舞うのである。議事堂周辺に押し寄せた三十三万人のデモを支配する衝動、それは、御成婚のパレードで美智子妃が通過していく沿道の群衆に顕れた衝動のもう一つの解に過ぎなく、それが擬態として空の逃走になるようにする何か、その後の美智子妃の顔にこっそり、しかも過激に顕れる能面のような何かが打ち消されている。
 徳川夢声の一声で、応募はがき八万六千通のうち一位を占めた「昭和塔」ではなく、0.3%に満たない「東京タワー」に決まったことで、「東京タワー」には、打ち消された「昭和塔」が暗い熱病のように潜伏することになる。それは、東京地方を覗くと同時に昭和を見渡す。その日展望台の西方に見えたという富士山が、3.10の焼跡から見えた37番目の富嶽を孕むように、或いは「行く年来る年」の各地の中継画像と梵鐘の響が津々浦々に示現するように、それは、一気に拡張すると同時に一気に収縮する戦慄なのであるが、この裂目(寂漠)が眠り込んでいる度忘れ状態が、空の逃走として、ツアーリズムのカーストを二重橋、皇居前広場、雷門のように東京タワーが占めることなのである。

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