碧空1005 清教徒の末裔の、家族写真の「無意識」
1005 清教徒の末裔の、家族写真の「無意識」
運命が偶然や間違いや冒険の振りをするのは、他の誰かになるために「私」が呼び出される献身の形式であるが、「自動車泥棒」(W.Faulkner)の四日間の冒険は、その解の一つとして展開する。
それは越境の試みであり、メソジストのように厳格な生活の律動と規範を脱け出し、境界を踏み越え、嘘をつき、騙し、逸脱する冒険が盗まれていて、本当ニ自分ニ振リカカッテイルノダロウカと漠として不在になる、清教徒の末裔の、家族写真の「無意識」なのである。
どんなに拘束的であっても清教徒の運命は冒険の振りをして、他の誰かとなって想起する献身である。それは究極の器官の延長であるから、馬や騾馬が器官の延長の技術革新として登場した自動車となって想起することは、清教徒の末裔が冒険することの鏡像である。その家族写真には、盗んだのではなく盗まれた自動車が鏡に呑み込まれて写り込んでいるはずだ。
その、盗まれた受胎のような魅惑とピンぼけの嫉妬は雌雄同体的であるから、鱗(や鎖帷子)に覆われた女体や甲冑を鎧った戦闘少女のように欲しくなるのである。


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