碧空1804 nautilus147(奇妙な応酬)
1804 nautilus147(奇妙な応酬)
サタンは寡黙ではなく饒舌だろうが、話しても話したことにはならない沈黙に耐えている。発信と受信の解離しないEchoのように言葉を使いこなせないのである。しかし、意図した言葉を遮って、他の誰かの発した言葉が口から飛び出してしまうエコーとは違って、意図した言葉のこころとは反対のこころの言葉に捻くれて口から飛び出してしまうのである。
とすれば、これは致命的である。どこまでもこころが打ち消されていって、どちらのこころにも到達しないからである。通常の反語は、こころの反転が一回限りで満足する。こうした言葉は反語として他の誰かにこころが届くかの如くなのであるから、サタンの駆使するのは反語以上の反語、こころがあるかのように欺く言葉、言葉の機能を麻痺させる擬語である。
この擬語を以てヤーウェに唐突に話しかけるサタンに、
ヤーウェ:何処ヨリ来タリシヤ
サタン:地ヲ行キメグリ此処彼処経アルキテ来タレリ
この応酬はなんと奇妙なことか。禅問答じみた風が巻き起こったようで、何かヤーウェに臭い息を吹きかけたのである。
ヤーウェ、サタン、ヨブ、この三柱は、三重の仮面性がplotとなって展開するために三分割された配役である。ヤーウェと呼ばれる問い掛けと、その大団円としての解決が解離すると、「ヨブとなって生命を贖うヤーウェ」の、その、群の生命の贖罪の秘密が見失われる。その、失踪し、潜伏した秘密が夢のように隆起した気配が、この配役が葛藤して絡み合うplotなのである。
サタンもまた、打ち消されて深々と潜み、伏流となって地表に出る悪い夢のような隆起である。というのも、ヤーウェは、モーゼには律法や贖罪の規範の、その、思いがけない実験の気配として顕れたが、ヨブには思いがけない僥倖の気配としてだけでなく、思いがけない癩病や疫病や飢饉や掠奪といった厄禍の気配としても顕れて、群の生命を贖うからである。
地ヲ行キメグリ此処彼処経アルキテ来タレリ、と臭い息を吹きつけた擬語は、ヤーウェの迂闊を、あるいは無意識をつく。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home