碧空3496 nautilus1839(本当にヨハネの生首なのか!)
3496 nautilus1839(本当にヨハネの生首なのか!)
これは、本当にヨハネの生首なのか!
思考は真偽が気になる。それは隠喩を探し、後れて来る「私」が見分けた私的な具体が形式に矛盾しないか探るのであるが、こうした思考の起原は、他の誰かになるまで器官を延長して「私」の顔をのぞき込もうとするアクロバットである。
ヨハネの生首が戦慄的に迫るとすれば、それは、「私」の顔が壁に写す影がヨハネの生首であって、あるいは、他の誰かになるまで器官を延長して鏡に映す如くのぞき込まれたヨハネの生首が「私」の顔であって、主題と隠喩の間に痙攣的に振動して響いて来るのである。思考は、この、主題と隠喩の間の振動を0にしようと迫る。この振動0が、解離である。
本当にヨハネの生首なのか!という驚きと懐疑と戦慄は、ヨハネの生首が「私」の顔に迫る隠喩のスリルである。海が割れる如く一体の種の如きExodusが光る顔のモーゼとユダヤの民の忠誠に割れるように、光る怪物とヨハネの忠誠に割れる斬首は、誰ともない「私」の異常接近と光の横領なのである。
つまり、本当にヨハネの生首なのか!という戦慄は、光り出した怪物の、その光の本当の持ち主は本当に怪物なのか!という懐疑なのである。


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