碧騒338 二つの潜伏、二つのexoticism
338 二つの潜伏、二つのexoticism
ラルフは生まれたが早逝しそうなのでラルフの父タチェット氏は子孫を残すことにはならない。ラルフが器官の延長を漠として模索しているところへ思いがけなくもイザベルが従妹として「世にも稀な、特別な雰囲気」で忽然と出現する。コンナノガオナカニイタノカというように、親族の渾身を食い破って出て来たのである。イザベルはラルフを食い尽くすだろうが、そうであったとしても、どうイザベルが光って経過するか見届けないではいられない。(「或る婦人の肖像」H.James)
イザベルがオールバニーの古い家で、雨の降る日に陰気な部屋に坐って分厚い本を読みながら死ぬ程退屈しているところを、ラルフの母が見つける。しかしこれは、イザベルが漠として保存している暗黒物質の気分の、その保護膜が退屈というものであることを指摘されたに過ぎない。イザベルは退屈していたというより、退屈(とその反対のものと)が組成する空気に眠り込みながら暗黒物質の気配が観測されないままに保存されているのである。
ウォーバトン卿に一目惚れを根拠にイザベルが対い形成を迫られて何か戸惑うのは、イザベルがそれと知らずに保存しているゴシック的な気配に触れたからであるが、イザベルは退屈を保護膜として潜伏しているものが自由であると誤解している。分業の網の目に位置を占める気休めの重力と惰性に打ち消されて潜伏しているものは、ゴシック的な気配であり、退屈に対抗して潜伏している自由なのではない。
ミジンコは処女生殖であるが、環境が劣悪になると対い形成するように雄と雌を配して、百年も耐える卵を産む。イザベルの環境は劣悪ではなく、しかも処女生殖的でもない。イザベルを駆り立てるのは、こうしたゴシック的な(媒体の)気配に被曝するexoticism ではなく、「私」というものが飽くなく器官を延長するexoticism であり、イザベルの被影響も、実は、他の誰かからやって来る思想として器官を延長するのである。つまり、イザベルの躊躇は、ウォーバトン卿から届いた「一目惚れ」が、器官を延長するイザベルの自由と何か齟齬し矛盾を孕む思想としての器官の延長であるからである。それは、コンナノガオナカニイタノカというように食い破って出て来た、思いがけない思想なのである。


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