碧空1732 nautilus75(何か連れ戻されてしまう)
1732 nautilus75(何か連れ戻されてしまう)
雪冤の道は遠い。諸エピソードの連鎖は、冤罪と逃亡をいやっというほど味わうというのではなく、その、起コリソウニモナク何時モ満タサレナイ遁走!は、何度も(しかもいつも初めて)次の街をのぞきに戻らないではいない。それは、何度ものぞきに戻らないではいない片隅に影おどむ壷のように、偶然、個、悪、偽、症状といった夢のような表出であるが、どこかで見たことがあって魅する痛恨のエラーなのである。
基督教が想起した原罪は身に覚えのない冤罪だとしても、fugitiveとして彷徨うことになる。というのも、地上に安らうこの世ののぞき穴が罪に罹るのは、のぞき穴に原罪がかかっているからではなく、のぞき穴の主体が後れて来るからであって、後れて来るはずなのに早く来過ぎてしまう主体の焦燥や、後れて来るはずなのに途中までしかやって来ない主体(の頓挫)が出る片隅の世界の終わりからの逃亡であるからである。
それは、弛まず絶えず前方へ歩んでいるはずなのに(何か見えないそこで、世界が終わってしまっているために)どうにも前進しない不動の状態が、後れて来る主体の中絶ではなく、片隅の世界の終わりに出たのではなくこの世に安置されている如くである。しかしそれは、反直観的過ぎる。
冤罪からの逃亡が追跡を深めてしまう(何か連れ戻されてしまう)「Fugitive」は、こうした、世界の終わりがこの世の景色になってしまう不条理の暗喩である。


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