碧空1728 nautilus71(この世の姦通)
1728 nautilus71(この世の姦通)
この世の姦通ののぞき穴の主体は後れて来るはずなのに早く来過ぎてマリアにかかる霊感的なノイズが(起こりそうもなく何時も満たされない)焦燥や憂愁となって蔽いかけて、マリア的なものは罪に罹る。一方、後れて来るはずの主体が途中までしかやって来ないであふれ出す霊的な気配が、受胎告知である。
霊が霊的であるために霊的でなくなる反直観的なmetamorphosis の裂目は、媒体であることの二重の気分であるが、この、二重の気分(媒体性)が、後れて来るはずの主体には奇妙にも(狼狽から転移発作的に)雌雄異体の気配に感じられ、その対い形成は、後れて来るはずなのに早く来過ぎてしまう主体には起こりそうもなく何時も満たされない姦通に感じられ、後れて来るはずなのに途中までしかやって来ない主体は二重の気分の、敷浪が打ち寄せる浜辺に出るような嫉妬の気配である。つまり、嫉妬とは、後れて来るはずの主体が主体にならない頓挫のもどかしさなのである。
この頓挫のもどかしさが、起こりそうもなく何時も満たされない姦通の正体である。二重の気分の、その転移発作的な雌雄異体の気配と嫉妬の気配の間に宙吊りになって起こりそうもなく何時も満たされない姦通は、蜃気楼の範疇であるが、憤怒が扱う悪の現在、悪を回避しようとすると益々悪が現在してしまって躱せない動顛としての憤怒を含蓄している。信太の森の白狐や憑いた狐を叩き出そうと女体を打擲しないではいられないもの狂わしさは、あるいは姥ヶ池のヌシが約束の年になって可惜17の姫の枕を濡らして夜な夜な通うのは、この蜃気楼と憤怒の、霊感的なノイズのイラストである。
ところで巷間に成就する姦通は、二重の気分のかかる姦通ではない。姦通となって成就するのは、霊感的なノイズではなく、そうしたいがそうするわけにはいかないことを強行する英雄性である。この英雄性は、打ち消されて疾しさとなって潜伏したものが夢のように巷に表出するエラー、従って取り除かれるはずのものであるが、まるで取り消されるために呼び出されるというような生贄なのではない。


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