碧空1808 nautilus151(漠として内奥から、漠として外奥から)
1808 nautilus151(漠として内奥から、漠として外奥から)
マリアもイオカステも、それが息子と知らずに通ずる。
それは、姦通より後れて来るはずのEROSがVenus の姦通に先立つようにしてマリアの懐胎に先立つために何処でもない何か内奥からやって来るが、イオカステにはそれが流されて何処か行方知れないのに応じて漠として広がる世界の奥地からやって来る。マリアは、龍が動物という動物の間に出現しては逃れ去る蜃気楼であるようにして雌雄異体、雌雄同体、無性といった生殖という生殖の間に出現しては逃れ去る蜃気楼であるのに、イオカステの孕む世界の広がりは雌雄同体を潔しとしないかに見えるのに応じて、それは、何か外奥からやって来るのである。
このOedipus は、なぜ教祖に見えないのか。
教祖という信仰の症状は、群がる忠誠の自乗の忠誠の殺到であるから世界が終わっているということであるが、Oedipus を呼び出す運命は、偶然の個や悪や偽といった症状が圧縮された奇形(Elpis )となって姿を現して漠として世界が広がるかに見えるからである。しかし、Oedipus を脅かす疫病が包囲して迫る気配はElpis の(運命というものの、その贖罪の秘密の)変装であって、人の姿をして殺到する疫病が領土そのものに膨れ上がる猖獗はOedipus が打ち消されるように呼び出されている、その症状である。Oedipus は果たして、教祖と違うのだろうか。


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