碧痕231 空気があくびをかく
231 空気があくびをかく
「救済」(済度)も出来事も経験(到達・保存)であるが、「救済」や「正覚」は、誰の経験、誰の覚醒であるのか疑わしい。
悪夢が破滅寸前で寸止めになって繰り返し更新されるように、「救済」も寸止めになる。「出撃する前の夜に似た、浮きあがった空気に取りまかれ」るが、その「空気」は何処デモナク宙に浮くのではなく、大晦日の津々浦々の除夜の鐘も大気を寂漠にするのではなく、ラジオから届く鐘声は思っていたよりずっと貧しくて光速には達しないが、つまり、思っていたほど慈悲深くはなく被造物にはなれないが、若き日々を遠くして近い長目の効果で包む。しかし、この望遠鏡の効果は跡形もなく、覗き穴を、瞋恚を燃やすミホの「ギモン」の続きやおさらいに横取りされて押し黙ってしまう。
しかしまた、蛇腹のついた古い写真機から覗かれる元旦の光景や、妻やこどもの静止画像は一体誰の経験なのか分からなくなる。それは単なる記念、劇化ではなく、慈悲深い被監視状態であるが、光速に達する寸前で、覗き穴を、上がり框に(あたかもわざとではないように)置き忘れて来た財布に横取りされていたのであり、それは出掛けに置き忘れたままに上がり框に目をみひらいていて、二人を脅かす気配がそのようにして内懐に示現する、その侵入に「背中がまるくな」る。
空気が浮き上がって取り巻くのは、誰でもいいことに面して大あくびするようなもので、誰でもいいことが打ち消せないまでも眠り込もうとする身振り発作の転写である。質料や差異の剥奪が空気にも及んで空気があくびをかくのであるが、出撃の前に顕れた症状が単に生まれ変わっているのではなく、妻の身体に転移して生まれ変わっているのである。(「死の棘」第四章 日は日に)


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