碧痕261 「浮雲」(奇妙な横溢)
261 「浮雲」(奇妙な横溢)
「マリヨン」は或る裸体絵画のモデルなのではない。しかし或るヌードの女の最終状態であるために嘘のような女、年齢のない女なのである。「マリヨン(の顔)」はこの霊を映し出して、しかもその気配を消せていない。つまり、ゴーストがかかっている。それは、「おもかげ」(「ふらんす物語」荷風)と呼ばれている。この思いがけない「おもかげ」は、巴里の、オデオン座の向角の三階目に実在するマリヨンを次元を縮めて抽象しているのではなく、思いがけない「マリヨン」が占める場所であり、しかもあふれ出している。面影が実在の次元を回復したのではなく、実在性をおかされて「浮雲」が出現したのである。
仏印から引き上げて来た敦賀の片隅の、鉛色の雨空の薄暗い煤けた風呂場でゆき子(「浮雲」林芙美子)が体を洗っていることも、細川という産婆の看板を左に曲がって二軒目といった道順も、あるいは逆に仏印の高地の森陰に白い孔雀がすっと飛び立つことも、それが嘘じみる限りで、最終状態の隠喩としての「浮雲」が顕現しているのである。それは、つかの間のことであるために標にならない浮雲のことではなく、大きさも数も位置もおかされた奇妙な横溢である。


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