碧空497 ピエロの顔の上
497 ピエロの顔の上
文楽の人形が導かれるくぐつ状態が薄気味悪く迫るとすれば、それは「鏡像」、「私」であるはずなのに「私」ではない「私」とは正反対の、媒体であることに面しているからである。それは、不随意に蠕動する内臓のように何よりも身近で何よりも疎々しい。
「it」は遠近の中間に位置づけられるのではなく、遠近の区別がおかされていて、大地震のように逃げ場のない隠れなさを漠として指示しようと足掻くのであり、終わっているはずなのに終わっていないために、忽如としてタイム・スリップして記憶喪失のような空白を一瞬にして満たして巨大な速度で突進して来るかのように「しのびよる影」であるが、それは距離が縮められているのではなく破壊されているのである。隠れなさから身を守るのになんども振り向いたり、その気配を押し退けるのに家中の明りを点けて回りたくなる。ゾーッとするが魅する。
「それ」は、不随意に蠕動する内臓のような「排水管から話しかけて来る」。「私」が話すのに誰かが話すのであり、思考が筒抜けであり、鏡も筒抜けに「他人のような顔」が顕れるのは、「私」が拉致されようとしているのである。
「it」の変装であるピエロに魂が込められたように影がおどんで「荒れ地」やデリー市そのものとの区別がおかされ、風上も風下もなく位置を占めないピエロからは逃走し難い。デリー市がピエロの出そうな場所であるとしても、デリー市と1958年から失踪するようにどんなに遠去ってもピエロの顔の上である。ずうっとピエロの顔面を踏みつけ、二重口唇の輪郭を知らず知らず辿っていたのであるから、1958年のピエロを目撃した仲間の帰郷と再会は、ピエロの顔の27年の拡張と配管の追跡が一気に収縮する、その顔の上である。


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