碧空708 晩秋のように蔽いかける眠気
708 晩秋のように蔽いかける眠気
「水流の中ほどのところを遊泳している一匹の魚が・・・下を眺める。深い泥土のなかで、なにかが小さくうごめいている。それから今度は・・・上を眺める。高く波立った水面のあたりで、なにかが大きく身構えている。」(「断章」F.Kafka)
この魚が眺めることは、何か大きく身構えている気配を二重に消せない。それは、下を眺めるのならこの魚が及ぼす脅威であるが、上を眺めるのならこの魚が曝されている脅威で、「部分的な」気配、「部分的な」とは、全体の霊的な気配が消せない、潜伏し切れないでいる金縛り状態である。この、食物連鎖のような「部分的な」気配は、どちらの脅威の場合でも「不安と安堵」の交じり合った情緒に包まれている、としている。下の方に餌食があるはずだという予期も、上の方から餌食にしようと狙う勢力が迫るはずだという予期も、半ばこの世のものであるからだ。
昆虫を一体ずつ展翅するような「断章」が及ぼす脅威と「断章」が曝されている脅威との間に(極端な個別化と極端な一般化との間に)振動して出現する意味も、種のような霊的な気配を消せないで、「水流の中ほどのところを遊泳している一匹の魚」の眺めの如く、うわさが漂う如く、「不安と安堵」に包まれている。
この、下位と上位が不断に代謝する眺めの効果は、近くて遠い長目の効果ではなく、憧憬のように戦ぎ広がる波と何も起こらないかのような一様な深み、「幼児が深々と眠っている間に嵐と夜の闇の中を運び去られていく」ような効果、嵐と夜の闇が前触れる「暗い領界」は遥かかなたにあるというより身近過ぎて暴かれないのであるが、深々とした隠れなさが晩秋のように蔽いかける眠気に変装している。


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