碧空699 美しい疑念
699 美しい疑念
「ぼくは舟を漕いで、湖面にでていた」で始まる断章では、丸天井の洞窟のなかの湖水の豊潤で完全な静寂に庇護されている如くであるのに、不断に何か妨害の気配が迫っていて、それはどこにも出現していないのであるが、揺れる舟のなかで立ち上がり、睨んで、櫂で虚空をおどしつける。
この、妨害の気配に変装したものは伏流となって、別の断章で地表に出る。
村の方から警告の叫び声を耳にするが、激励の声と解釈したために丸木橋を渡ろうとして中央まで来たもののそこで「はたしてぼくは正しい道をすすんでいるのだろうか」という疑念が俄然沸き起こり、闇にむかって大声で叫ぶ。
こうして、それが分かる。しかし、妨害の気配も警告の叫び声も媒体性の変装としては陰謀や迫害、密通、双子、予言の気配ほどには「私」を脅かさない。
「ぼくは以前から、自分自身をどこか胡散臭いと疑ぐってきた。」(「断章」F.Kafka) それは、身分や性格が曖昧な中間領域を占めて両棲的というようなことではなく、「私」というものが裂目をみひらいて疑わしいのである。「たとえば、鏡のなかの自分の顔にたいする驚き、あるいは、路地を歩いていて不意に鏡のそばを通りかかり、自分の後頭部や全身像を目撃したときの驚き」で、こうした模写発作を惹き起こす裂目はいつもは眠り込んでいてもうごめき胎動していて、その、ヒトに寄生したAlien の幼虫が腹を食い破って出て来るような覚醒(誕生)は「私」が「もはや生きのびられない」という収穫すなわち「この世の終わり」である。


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