Saturday, December 10, 2016

碧空906 試煉の二つの相(即興の二つの面)

906 試煉の二つの相(即興の二つの面)  物語からのふしぎな生還の二相は、古典的、そしてその「壁に写る影」である浪漫的、とである。この二相が懸け離れているが似ているのは、いずれにしても種の霊的抽象の受胎(問)がこの世のもの(解)となって発見されるために次元スリップする、その、普遍的なものが偶然の個の振りをする即興の二つの面だからである。  古典というもののバランスは初めから古典的であり、夢のように(何かまるで「誤って」)ドンぴしゃに響いて来る不滅性は、その形式が同時にその意味だからである。素材がこの世に顕現するために潜伏する造形の力が、しかも素材の潜在内容なのである。これは、隠喩やうわさの構造でもあるから、古典的とは隠喩やうわさのように普遍的なものに誘惑される試煉、その秘密は普遍的ではないことである。次元スリップするイロニーの形成の力は発見を要請するが、古典的なものの発見は(隠沼のように)発見の頓挫、自食の範疇であるJesus ChristやDracula のようにこの世に安息することはない。  古典的なものの発見(の頓挫)はアブラハム的なものであるが、浪漫的なものの発見は、全身を覆い尽くす癩が懲罰であるという夢想に誘惑される試煉としてのヨブ的なものである。つまり、普遍的なものに誘惑される試煉の「壁に写る影」は、懲罰という夢想に誘惑される試煉である。

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