Wednesday, February 22, 2017

碧空955 まるで自生状態がまるで疫病のように覆う

955 まるで自生状態がまるで疫病のように覆う  スノープス一族は脱隠喩的に(遠近法の効果で)前景、中景、後景に曖昧に遠心分離するが、奇形嚢腫が神格化すれば、いつでも全背景(トーテム)が前景の振りをする。その前景はフレム・スノープスとは限らないことに、漠としてフレム・スノープスは怯える。それとも、その前景がフレム・スノープスであることを恐れるのだろうか。  スノープス一族に寄生する余計なスノープスは、フレム・スノープスが漠として予期しているスノープスの標本で、不吉な前兆で(奇形嚢腫のように)見張っているだけでなくいつでも入れ替わりかねないのである。洗礼派のジェファソンがスノープス一族を浮かび上がらせる陰画であるように、フレム・スノープスが追放したがる余計なスノープスがフレム・スノープスを本当らしく、現実らしく見えるようにする。  F.Kafka の「独身者」と「自殺者」が、のたうつが目覚めない「眠っている男」の症状の変態であるように(碧空716、717)、余計なスノープスの受肉を共にするフレム・スノープスは余計なものに似ようとする双子の霊に覆われている。  フレム・スノープスの、のたうつ情熱は、この双子の霊から身をもぎ離そうとする不断の遁走で、貨幣の孕む一般化された問と個別化された解が解離し切らない、その焦燥や疼き、まるで自生状態の蜃気(あるいは淵)に出てしまい、中毒してしまう。それは貨幣が麻痺する恐慌ではないにしても、半恐慌である。貨幣が機能するのは(その模写や代表の)一般化すると同時に個別化する能力が解離する限りで、まるで自生状態であってはならない。しかし、隠されたまるで自生状態の宝を守護するかに見えて、思いがけない淵に監禁されてしまいがちなのである。しかも、まるで自生状態の宝を守護する怪物の全身にも、まるで自生状態が疫病のように覆うようになる。  まるで自生状態のこうした感染は、焦燥して疼く宝を守護する怪物の情熱が忠誠だけでなく嫉妬や悲哀をも含有していることを白状している。というのも、その宝の焦燥や疼きは、怪物が守護しているのに他の誰かの救出を待っているというふうなのである。

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