碧空960 沈黙も同然の神話
960 沈黙も同然の神話
トーテムの再生と救出は、知っている息が知らない太い息になる。訂正不能の空気は「それやかれらに試されている」というふうに伝達不能だが、肺腑を抉る。訂正不能であるのは、個別化と一般化が両極端に走って現実というものの曖昧な遊びがなくなるのであり、伝達不能であるのは、受身と尊敬と自発と可能が収斂して大気が半母音になって分節や写真撮影が失効するのである。
神話の大気は半母音であるから、沈黙も同然で、チャールズ・マリソンやギャヴィン・スティーヴンズやV.K.ラットリフの分節と写真撮影の試みが座礁するような思いがけない景色に出て、Snopesは神話として顕れ、沈黙も同然になる。
しかし、マンフレッド・ド・スペインは、フレム・スノープスがジェファソンになるためにのぞき穴の向こうへ送り込んだ器官の延長、身代わり、通貨や言葉である。それは媒体として、予定調和的な全背景を代表する前景になって分節し、写真撮影のように模写する。その情景は、遠近法の効果でユーラ・ヴァーナー・スノープスとの密通、姦淫にしか見えない。
しかし、全背景が前景の振りをするトーテムの再生の(媒体性の)その生々しい現前、知っているものが同時に知らないものに拡大するような思いがけない景色に解脱して、本当の話し主の接近に感応した振動の効果から、ヨクナパトーファ郡に流される。(スノープス三部作 W.Faukner)


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