Thursday, March 29, 2018

碧空1221 MOON WALK139(身を潜める魂)

1221 MOON WALK139(身を潜める魂)  魂「の」存在の、その「の」(所有格)は、魂がこの世のものとなって魂を映し出す(と同時に)この世となってこの世のものを現し出す、というように主格でも目的格でもあり、同格でも比喩でもある。  問としての魂と解としての魂が解離してこの世のものがこの世を占めることは、こうした「の」の五重の位格の爆発的な収斂を忘れてしまうが、客観に転写する遠近法を鎧い、それは擬態なのに真偽が気になる。解離しないでこの世のものにゴーストがかかるのは、魂の遠心分離した四重の位格が爆発的に収斂して擬態が解けるのであるが、真偽の区別も揮発する。魂は客観に転写されない。  「苦海浄土」の石牟礼は、魂などというものは(本当に)存在するのですか!、としばしば尋ねられたと述懐するが、魂はそんなふうに客観に転写されて寿命を鎧うような遠近法には包まれない。魂はこの世のものも(しかもこの世も)同然であるが、いつまでも(身を潜めて)そうはならない。

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