Saturday, August 07, 2021

碧空1982 nautilus533(象の如く軽やかに漂うJesus Christの主題)

1982 nautilus533(象の如く軽やかに漂うJesus Christの主題)  象の如く軽やかに漂う存在の気配(presence)、この、どこからともない異常接近(誰カガイル!)を、「ヴェルテル」(Goethe)は、何処カラ来テ何処ヘ行クノカと分節して、この、呪われた状態と呪われた位置の中間の、その劇的な拡大を、謎掛けの様式に変換している。Jesus Christが象の如く軽やかに歩くことは、何処カラ来テ何処ヘ行クノカ!と大声で説教しようととするのであるが、大あくびが出てしまう。  「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551 ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」というようなfugue (夢中遊行的失踪)の症状では、「私」と「私」の中間(の、その半鏡像)が物語の様式に変換されていて、そのplotの展開そのものが、何処カラ来テ何処ヘ行クノカ!と赤ちゃんのように大あくびしている。  象の如く軽やかに漂うJesus Christの主題は「私」、その解はthe life and the resurrection であるが、それは、未知の主題に向かって変奏しないではいない。その「私」(presence)とは、「私」と「私」の中間(omni-presence)だからである。

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