碧痕204 軟禁状態
204 軟禁状態
その虎は、掛け軸から抜け出さないように白眼無瞳を以て枷をかけていると囁かれるのであるが、しかし、この白眼無瞳にこそ霊がかかっていて、一旦瞳を活けられるや霊は打ち消されて潜伏する。悪疫、飢饉、戦乱から身を隠していたいのに隠れなく魘されるように洛中洛外に漂う妖虎の気配は、この何か漠として潜伏する白眼無瞳の気配の一つの解であって、畳ノ目ニ零レタ針ハ地獄ノ山ノ草トナッテ生エルと囁かれるように、人々の人面瘡がうわさのようにあふれ出して漂うのである。
犬江親兵衛が矢で妖虎の両の眼を射貫いた狙いは、白眼無瞳の虎を元の掛け軸に戻すことであり、管領細川政元のもとに久しく続く親兵衛の軟禁状態を終息させることであるが、証拠写真のように片耳を切り取って退治のしるしとしようとしたのは、眼を潰せば虎体が掛け軸に戻るはずであるとする要請にうっかり反してしまう親兵衛の錯誤というよりは、別の次元から何か触れ得るものを持ち帰ろうとする衝動が論理的要請を凌いだのである。ところが耳は、この要請の方に従ってすごすごと掛け軸に戻るのであり、しかしこの片耳に、なんと確かに切断されたといわんばかりに紛れもない刀痕ができていたという小説は、妖虎を傷痕に保存して報告するのではなく、妖虎に歴史的に到達(・保存)しようとする写真の衝動(すなわち、虚構の気配を消そうとする虚構の衝動)の、その頓挫の報告である。経文で護られていなかった耳が別の次元にもの凄い力でもっていかれた耳なし芳一の場合もそうであるが、虚構の気配が消せないのは虚構の頓挫であり、虚構の気配を消す限りで虚構は息づく。実は、こうした虚実の恐慌こそは、犬江親兵衛を軟禁状態にしている大気である。
親兵衛の軟禁状態の二重の身代わりとして、この妖虎と吹雪姫(東山殿の弟にして世継ぎのために義政の養子となるが義政に義尚が生まれてからは疎まれることになる義視の側室腹)は分身している。姫は悪僧徳用らに拉致されるが、妖虎こそが姫が気を失っている間に現れて姫を運び去る人面瘡である。つまり、姫に白羽の矢を立てた応仁以降の世のエートス(正統の恐慌)がかかって、神経衰弱を以て姫は軟禁されていて、失神している間しか告白しないのであり、しかも失明も記憶喪失も履歴改竄もなく連れ戻されてしまう。
もともと犬江親兵衛仁の上洛の目的は八犬士が金碗(神余)氏の勅許を得ることであるが、正統の恐慌が吹雪姫を通して届くことになる。伏姫は正統の恐慌に面して神経衰弱を以て反応したりはしないが、八重分身を以て繰り返し恐慌の大気を藻掻き出なければならない。


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