Monday, January 30, 2012

碧痕150 龍(犠牲になる時間、発芽、懐疑)

150 龍(犠牲になる時間、発芽、懐疑)
 1個は滅ぶとも世界と種は残る、2世界は滅ぶとも個は残る、はともかくも、3個も種も世界も滅ぶ、にどうして安らかでいられるのか。公平でないことを痛感するものにとっては、何もかも滅びることよりも公平感を満たしてくれるものはないからである。それだけではない。遍く滅ぶはずの個であるはずなのに、何かが超然と飛翔している。何か特別扱いの、何か不正で不公平なものが、こっそり生き延びている。矛盾に耐え、こんなにも超然となれるのは、信仰しかない。
 この飛翔(信仰)の正体は何か。寂滅に時間はかからないが、個や種や世界などの、寿命を鎧って中間を通過するものの消滅には時間がかかり、この、通過・消滅と引き換えに犠牲になる時間、それが飛翔の正体である。それは、予定調和的に平均化された時間ではなく、極端に私的な中間を通過するために打ち消され疚しさとなって潜伏した時間である。龍は、こうした時間の隠喩でもあり、その潜伏と飛翔と区別がつかない。
 森や山、海、土や水、元素に帰るといった還元というものの生活反応としての安堵は、いかに我というものが重荷であるかを白状している。しかし、この安堵の秘密は、我が素材に解消することではなく、誰でもなくなることなどであるはずもなく、仮のしかし重い生首を切り離し、胴体に別の生首が発芽しつつある。何か不易で一貫したものの証明としての死に面して、死んだらどうなるのか、という問は、何か一貫して不易なもの、中間を突破して通過するものに面して、そのことが頓挫して疑わしく、脅かしかけるのである。つまり、それに答が見つからないのは、それが応答でもあるからである。龍は、こうした発芽や懐疑の隠喩でもあり、懐疑と応答と区別がつかない。
 この懐疑・応答は、時間を犠牲にして棲処となった宇宙空間に面してそのことが疑わしい、というふうにも息を洩らす。

Friday, January 27, 2012

碧痕149 子供たちは、ある日「Alien」を

149 子供たちは、ある日「Alien」を
 子供たちは、ある日「Alien」 をスクープする。Alienは遍在し、振り切ろうとしても振り切れない。
 これは、二重の隠喩である。1具体は、その媒体性から離脱していたかのように擬態を解いて連れ戻される。2ghost (の潜伏)は、具体が擬態の気配を消しても不随意に漏出して薄気味悪く迫る。隠喩であるために、化は、寄生体としてのAlien の幼虫とhostとしてのヒトに分割される。
 本当の持主の接近に感応する限りで宝物が光り出すように、本当のhost(宿主)が接近しなければAlien は悪夢とならない。
 「Alien」Ⅰ、Ⅳで、振り切れないAlienが暗い宇宙空間に叫びそのもののように吸い出されていくのは、絶滅ではなく、棲処としての暗い宇宙空間そのものに(時間を犠牲にして)膨れ上がるのである。
 いつか、暗い宇宙空間そのものが宙に浮くのをスクープするのは誰か。

Tuesday, January 24, 2012

碧痕148 蒐集、密通

148 蒐集、密通
 或る孤独が孤独を振り切ろうとするように猛然と自転車を漕ぎまくって道路が世界の終わりのように終わっている宙へ跳躍するのを、あの、何か法則的なものの裏をかくものの目配せとしての河口の精が自転車で並走しながら目撃している。(Dekalog9「ある孤独に関する物語」K・K)
 ゾフィアにZeppelin色違いの三枚つづりを見せたがっていた老人が眈々と狙っていたが所在不明の、赤のメルクリウスの気配づく方角もまた、猛然と宙に跳躍するようなものであるが、というのも、それは実は、赤のメルクリウス(1853年)が気配づくのではなく、碧、黄、赤の間に種や法則や、中間を突破して通過する孤独の如く出現するメルクリウスの半解脱だからである。(Dekalog10「ある希望に関する物語」K・K)
 長年月の時間がかかったコレクションに億単位の保険をかけずにはいられないのは、出現するのに億単位の時間がかかった孤独が重荷であることの症状である。本当の宝物に呼び出しをくらっては、孤独が解けてしまい、盗まれる恐れはない。老人がゾフィアに見せたがっていたZeppelinは、貨幣が模写するZeppelinではなく、ゾフィアが宙に跳躍しない限りスクープすらされないのである。
 蒐集の衝動が奇怪なのは(実ハ邪悪ナノハ)、孤独が解けることと、孤独が中間を突破して通過することとの間に振動するからである。ghost がかかって二重になるかと思えば、時間がかかって一貫性が重く圧しかかる。自転車の男の苦悶は、中間を突破しなければならない責め苦の症状が、盗聴や窃視を通して、妻ハンカの姦通としてスクープされる。媒体であることが間男に顕れたために、そのことが度忘れ状態であり、碧のハンカ、黄のハンカ、赤のハンカの間に気配づいたものに(逆せ上るように)襲われるのである。

Saturday, January 21, 2012

碧痕147 渾身の潜伏

147 渾身の潜伏
 食糧調達のための器官の延長は、器具、武器となり、宝になる。同じようにして、器官の延長としての分業を促進し、解釈(のための時間と手間)を節約する媒体は富になり、善になる。金銭、地位、名声、言葉、こうした善は、海の幸山の幸として現れる善を獲得するための手段として派生するが、こうした富の蒐索、蓄積に於いては手段が目的になりがちである。
 伝達媒体が何かをスクープしようとして器官を目一杯に延長する、その肉薄は登攀に似ているとい
う。登攀の達成のための覗き穴が、隠れていたものが顕れる効果に包まれるだけでなく、覗き穴の組織を代表する眩惑に抱き竦められるのである。
 蒐集の衝動に於いては、例えば、パリを一日歩いてホテルに帰って来た時に、靴の裏に挟まっている石粒を一つ小さなガラス瓶に封じ、日付を附して標本にする、というような蒐集の衝動に於いては、
狩が観光に、弓矢や銛が靴に、海の幸山の幸が石粒に変わるだけでなく、異性を魅きつけるための婚姻色が標本と標本の間に出現する眩惑に変わり、しかもそのアウラに魅惑されるのは異性ではなくコレクターその人であるように屈折している。
 本当の持主の接近に感応して光り出す宝物の、本当の持主は単数ではない。そうした宝物は中間を突破して通過することはなく、また記録もされない。本当の宝物は、その具体の媒体性がうっかり秘密ではなくなっていて、本当の持主の接近に感応するかのようにこっそり光り出すのであるが(他の誰かのものなのか)自分のものとも思えない、何か起こりそうもないニアミスそのものである。
 Zeppelin色違いの三枚組(「極地探検」1931年)にghost がかかるのならば、それは、この異常接近である。それは、貨幣が写し出すZeppelinではない。渾身の潜伏である。実体のない種としてのZeppelinが、不易ではない気配を消した「Zeppelin」に飛躍するのである。
 本当の宝物は人の手から手へ移転しない。子供たちは、錯誤のように瓦落多を蒐める。それは、何か呟くような何か息づくような何か指図するような渾身の潜伏を(異常接近を)貯蔵するのである。

Wednesday, January 18, 2012

碧痕146 究極のエチカ

146 究極のエチカ
 「ある運命に関して」法則的、歴史的なものの裏をかく目配せとして現れた河口の精がゾフィアの究極のエチカの講義に出席していて、ゾフィアの住む集合住宅には「ある選択に関して」誤診したのか嘘をついたのか区別がつかない医師も住む。(Dekalog8「ある過去に関する物語」Krzysztof Kieslowski)
 1943年2月、ワルシャワ、ノアコフスキ区、(目配せをするように)外出禁止の時刻が迫っていた。ユダヤ人の少女エルジュビエタは、匿ってくれるという人が条件とした洗礼のために神父のもとへ気が急いていたが、間に入っていたゾフィア(40年前のゾフィア)はなぜか躊躇して「神に嘘はつけない」とさえ弁解して見捨ててしまう(と40年前のエルジュビエタには思えた)。プラガ区の別の人に匿われることになって生き延びたエルジュビエタは、アメリカから40年振りで(漏電するように)ワルシャワに戻り、ゾフィアの著作を残らず翻訳していた関心からもゾフィアの究極のエチカを聴講することになり、その講義のなりゆきで(実は究極のエチカはエルジュビエタをアースしていないために)40年前に降りかかった出来事を、余りにも根拠のない具体の極を(同じ部屋にいた男がずっと手をポケットにいれていたこと、出された磁器の茶碗が揃いのものではなかったこと、などの惚けきった細部を)突きつけ、問い詰め、ゾフィアの顔を探る。
 ゾフィアが1943年2月に住んでいた場所、ワルシャワ、ノアコフスキ区、人が住み替わって隔世の気配と、囁きも叫びも聾として吸い込むぶ厚い空虚が降り積もる場所にエルジュビエタを連れていったゾフィアは、そこでエルジュビエタを見失い、この、エルジュビエタの出そうな場所に、総身の毛も太る。
 ゾフィアはうちあける。実は、エルジュビエタを匿うことになっていた人はゲシュタポに通じている、という情報を入手していて、それでは地下組織の運動が筒抜けになり潰滅しかねない、そのことを恐れた。ところが後に、その情報が偽りであることが分かったが、それは、組織がその人を処刑する寸前でのことであった。
 この思いがけない告白が真実の気配に包まれるとしても、その説得は、単に隠れていたものが顕れる効果に過ぎなく、嘘ではないとはどうにも証明できない。その真偽は、エルジュビエタの渾身の選択になる。しかもそれは、自由とは別の源泉から届く。それが和解(失神発作)であるのは、救うものと救われるものとに別れるカーストが解けて、救われるものの、その自由の被剥奪こそが救うものを証明する、その、渾身の胴震い(被造物の胴震い)に面してである。

Sunday, January 15, 2012

碧痕145 渾身の胴震い

145 渾身の胴震い
 「ある運命に関して」ヤーウェに襲われるアブラハムの如き男と、サンタ・クロースに扮した男はクリスマス・イヴに玄関ですれ違う。すれ違いざまに感染したものは何か。
 「ある運命に関して」法則的、歴史的なものの裏をかく目配せとして現れた河口の精と娘は川岸ですれ違い、父と娘は「ある選択に関して」誤診したのか嘘をついたのか区別がつかない医師とリフトですれ違う。すれ違いざまに感染したものは何か。
 エヴァの対い形成では男は分身していたが、クリスマス・イヴのミサに現れたエヴァは夫が失跡したと訴え、もう一人の男(サンタ・クロースの男)に一緒に捜すよう誘惑する。この捜索を通して、エヴァの置き換え難さは拡大するのか縮小するのか、それを知るためにも男は車が盗難に遇ったと偽り、敏感に反応する妻の疑念を振り切って夜の街に出る。果たしてこの失踪騒ぎはエヴァの狂言で、3年も前にエヴァは夫と別れていたのであり、クリスマス・イヴに誰もそばにいないことに耐えられなくなっていたエヴァは選択にでたのである。7時までサンタ・クロースの男と一緒にいられるならなおも生きられる、いられないのなら毒を服してもう終わりにする。(Dekalog3「あるクリスマス・イヴに関する物語」)
 こうした渾身の嘘が、或る一対の父と娘の間でも、選択にでる。娘の生後5日目に死んだ母が娘に宛てた手紙を父が封入して父の死後に開封するよう父が表書きした封筒を、父は、あたかもわざとではないかのように置き忘れて娘が娘の決断で見るように誘い、娘は、父の死後に開封すべしの指図を破って母の手紙を取り出しはするものの中身を読むことを思い止まる、しかし手紙の内容を憶測して(というより願いを込めて)母の筆跡に似せて渾身の偽の手紙を書き上げ、その虚構の気配を消した内容(実の父ではない)に従って、父を通して、或る選択を誘導しようとする。すなわちこの一対は、父と娘なのか、男と女なのかを。(Dekalog4「ある父と娘に関する物語」)
 娘は、女は誰の子を孕んだか分かると言い張る。これは、娘は、父と血が繋がっているかどうか分かる、とでもいうようだ。蜻蛉返りして変身することが責め苦であるように、娘は渾身の胴震いをして、娘が女になるのを父は待っていた、という溢れる思いそのものに変身する。「父は待っていた」は「父に待っていて欲しかった」が屈折したものであるが、この屈折は、懸想なのか憐れみなのか、娘には区別がつかない。
 父もまた、別の男の器官の延長として父親になったのか、別の男を器官の延長として産み落とされて生き延びた赤ちゃんが身代わりに女になる日を待ち侘びていたのか、区別がつかない。
 一旦この世に嘘が入り込むと、白状が嘘ではないとはどうにも証明できない。
 「ある選択に関する物語」から感染した選択は、自由とは別の源泉から届く。しかも、一対の男と女ではなく、一対の父と娘を選択することの、その、自由とは別の源泉は、嘘を剥いでも剥いでも虚構の気配が消えない底なしであり、一対の父と娘を選択することが一対の男と女を選択することの屈折、仮面、渾身の胴震いではないとはどうにも証明できない。
 エヴァが漏電しそうなクリスマス・イヴに、エヴァは出た。憂鬱と引き換えに打ち消され疚しさとなって潜伏して疼いていた暗黒のエヴァからの意図せざる贈り物は、渾身の身震いである。嘘が剥がれ尽くすのにどれだけかかるのか。エヴァが7時を選択したことに、雷電は落ち、7時を回るように(目配せするように)なおも生きられる。

Thursday, January 12, 2012

碧痕144 内臓の如き

144 内臓の如き
 Dekalog2「ある選択に関する物語」
 化はghost の出現の禁止(秘密にすること)に面して埋め合わせるかの如く、それが、具体の媒体性であり、そのことが秘密である限りで擬態は擬態の気配を消して内臓の如くにはたらく。
 媒体であることの禁止のエラー状態、擬態の気配が消せないmoral の頓挫が、良心(覚醒)である。良心が覚醒する、というのではなく、秘密であろうとするものが秘密ではいられない葛藤が良心なのであり、それは、自由とは別の源泉から届く命令である。
 その女が二人の男を同時に(何か埋め合わせるように)愛するのは、媒体であることの禁止のエラー状態の目じるしのようなものであり、良心の二重性が、夫と夫の器官の延長として内臓のようにはたらくもう一人の男に分身している。この選択は、自由とは別の源泉から届いている。
 もう一つの選択が迫られている。女は妊娠しているが、病臥の夫の子であるはずもない。死の病であるのならば産み、生き延びるのであれば産まない、それが女の決断であるが、夫の担当医師の、患部を代表するX線写真に基づいた誤診のために、というより、或る患部が生体の未来を代表しようとすることそのものの何か届かない過誤のために、女は産むことになる。
 つまり、この選択は、女が鎧う自由とは別の源泉から届いたのであり、もう一人の男が夫の器官の延長(としての媒体)であることの禁止の、秘密ではいられないエラー状態は、良心が自由とは別の源泉から届く命令であることの隠喩である。
 女(の意志)は、誰かがいる、とでもいうように導かれたのであり、それは、死の淵に面して混迷する夫が導かれるように戻って来ることへの応答である。

Monday, January 09, 2012

碧痕143 雷電は前兆に落ち

143 雷電は前兆に落ち
 Dekalog1「ある運命に関する物語」(Kieslowski)
 平均化では制圧されない「運命」、若者が凍結した池の辺で焚火をしていたことが、割れるはずのない氷が割れたことの原因ではないにしても、それは何か法則的なものの裏をかくものの目配せとして、この事故を支配している。
 コンピューターの画面に出るI am ready・・・ 自発的に電源が入って呼び出されたがっている、この状態では、服従と命令を区別できない。何に向かってready なのか。
 法則的到達・保存(平均化)を通して寿命を鎧う世界や、寿命の長短の分布が地に浮かぶ模様のようにして棲処ともなる世界に向かって、である。しかし、「運命」の突出はこうした世界に属さない。 それは、平均化では制圧できないし、X線写真が代表する生身の患部、といった単純化にしても制圧できない。それは、法則的でも歴史的でもない。内臓のようにはたらく平均化や単純化が頓挫して、露頭するのである。
 若者が焚火を憂い見つめることや、I am ready・・・の催促が自発的に電源の入った画面に出ること、インク壷を倒しもしないのに青い液体が零れ出て紙を侵すこと、それらが、分厚く凍結しているはずなのに不慮にして氷が割れる池の患部を(X線写真のように透視して)代表するかの如くであることは、前兆と呼ばれるが、この、思いがけない事故に先立つ透視は写真術ではなく、とりかえしのつかない具体を振り返るのではなく、具体の極に出て、その具体をたった一つの(しかももう一つの)解とするようにghost がかかる。つまり、「運命」がかかるのは、この前兆であり、不慮の事故ではない。雷電は前兆に落ち、不慮の事故に落ちるかの如くであるのは「運命」がどこかに落ちたことの目じるしに過ぎない。前兆に奇妙な気配がかかるのも、ghost がかかる限りであって、不慮の事故を予告するかの如くであるからではない。
 「運命」は、導かれるように不慮に水死するパヴェクよりも、パヴェクの父を狙っている。前兆は、パヴェクの父が打ち消しているものの、その地獄のヴォリュームの漏電であって、そのことの証明にパヴェクが(時間や経費のように)かかってしまう。
 パヴェクは地獄のヴォリュームを代表する。それが、パヴェクの意味である。冬の朝に名も知らぬイヌの死体に面してパヴェクを襲った懐疑、それは 死ンダアト何ガ残ルノ というふうに写されているが、パヴェクが被曝した気配はそのような整頓では治まらない。この懐疑は、前兆となって繰り返しパヴェクの父に祟り返して来る。

Friday, January 06, 2012

碧痕142 渾身の偽造、渾身の覗き穴

142 渾身の偽造、渾身の覗き穴
 自殺は、失神(擬死)や地に滅入り込むような深い鬱を潔しとしない。しかし、それはエラーである。失神の禁止がエラーの症状として自殺を惹起する。エラーは、禁止すると同時に埋め合わせる。
 嘘は、擬態の気配を消す擬態の野心を潔しとしない。擬態の禁止に於いては、擬態の気配が消せないエラーの症状が嘘である。嘘は、「私」というものや直しさを潔しとしない。
 「トリコロール 白」(Kieslowski)のEros、偽の葬儀、嘘の死を以て恋うる人をポーランドまで引き寄せることができるか、出来なければ魂などくれてやる、という賭けは、「白」のErosが、擬死と自殺の間に宙吊りになっているかに見える。
 部分が全体を代表する、その擬態の気配が消せない不意の飛躍が「魂」の肉薄であるが、部分は限りなく入れ子になり、限りなく「魂」は後退するかの如く、拡張すると同時に収縮する。運動であれ静止であれ、中間を突破する何か不易で一貫したもの(種や「私」や寿命を鎧ったもの、均されたもの)も実体はなく、擬態の気配が消せずに不意に「魂」に飛躍する。この二つの「魂」は、出現すると同時に潜伏するghost の、その「化」の、その二つの擬態(平均化、単純化)の気配が消せないエラーの症状であり、嘘と区別がつかない。
 つまり、「白」のErosは、失神するのでもなく、擬死の禁止が自殺として発症するのでもなく、そのスリルは、偽の葬儀、嘘の死を通して、胸が張り裂けんばかりに拡張すると同時に胸が潰れんばかりに収縮する「魂」の(嘘の)、何処からともなく冬のショウ・ウィンドーに少女の頭部の脆い石膏像を(ついいましがた「天使」が通ったとでもいうように)ズーム・アップして来る、その渾身の望遠である。
 しかも、この、この世にいてこの世にいないことの、その渾身の覗き穴からの望遠は、反転しなければならない。人と人の間に葬られる偽装の死亡まで工作して望遠したのは、対い形成が間に合わせに過ぎないことに耐えるとも甘んずるとも潔いともつかない女を掬い上げるためであり、そのために敢えて死亡したことにした男の萎縮した置き換え難さを拡張するのも、同じようにしてこの世にいてこの世にいないことの、その覗き穴でなければならないが、それが、女が誰でもなくなるような偽造の気配の異国での、陰謀じみた遺産相続が殺人容疑に一転することによる被隔離である。
 これは、女が鎧う「私」が脅かされている、その極で極端に私的になっているのである。というのも、男の陰謀は、渾身の秘密を分け合うために毒を盛るようなことだからである。

 パリ、ワルシャワ、大掛かりな迂回を通して、脆い石膏像が、鉄格子の嵌まった冬の窓の灯のなかに受肉する、渾身。

Tuesday, January 03, 2012

碧痕141 三重性をアースする「マリー・フランス」

141 三重性をアースする「マリー・フランス」
 「トリコロール 青」(Kieslowski)の底から浮上して来る女の(その女を媒体とする)Erosは、出現すると同時に潜伏する隠喩性を媒質とする。作曲家として通る夫は「青」の女の音楽の媒体であり、夫の突然の死を通して、その置き換え難さが拡大することも、女の置き換え難さが萎縮することもなく、事故現場から届けられた十字架のネックレスや夫が息を引き取る前に残した言葉(ほら、咳が止まった)も、胸を決壊させ胸を潰すような、提喩性を媒質としたErosの擬態(模写)の、擬態の気配の消えないエラー状態に被曝することはない。
 「青」の女(Eros)は、青い瑠璃の小塊が数珠繋ぎに幾条も垂れ下がる飾に青い媒質を嗅ぎつけているが、それに感応するように、また、それを説明するように、アルツハイマーの母を通して、洪水のように溢れ上がった衝動として、また、棲処として「マリー・フランス」が告げられる。どうやら増殖の連鎖、「マリー・フランス」に棲み、誰もが「マリー・フランス」になってしまうことに脅かされる「ネズミ恐怖症」が「マリー・フランス」の漏電をアースしている。
 夫と娘の不慮の死の後で「青」の媒体としての女が厭世的になったのは、音楽として出現した「青の女」が発症するように寄生する媒体(間に合わせに過ぎないがどうでもいいのではない誰か)を見失ったからであるが、この寄生は寛大に見える。「青」の媒体としての女の、その器官の延長として別の女が分身、密通して夫の器官の延長を孕んでいても、それは、「青の女」の媒体であり、誰もが「マリー・フランス」になってしまう。媒体としての「マリー・フランス」は、ghost としての「青」の底から浮上して来る女と区別がつかないように漏電している。
 この、漏電する「マリー・フランス」の三重性に面して、その三重性を眠らせる模写発作としての「マリー・フランス」に振動、打ち消される三重性の、その電撃は尼僧院では、失神や「ネズミ恐怖症」式にアースされている。