Monday, March 23, 2015

碧空532 「一体何だろうか」という問の頓挫

532 「一体何だろうか」という問の頓挫  物と場所の区別がおかされているために、堅く密に閉ざされていてもUn-Dead が易々と擦り抜けてしまうのは、2040年はすでに始まっているという気配に被曝するようなもので、「暗黒の塔」(S.K )に展開する探索が複素数の解としての別の世界に通り抜けられてしまうのも、この被曝の変奏である。  ところで、極薄のLucyを、首を切断することや大蒜を口に詰め込むことやトネリコの杭を打ち込むことで止めを刺すことができるものなのか、それは疑わしい。むしろそれは、Un-Dead を意味として現実にするしるし(影)なのである。極薄のLucyを場所として現実にする意味が、場所>意味の層から意味>しるしの層に音もなく移るのであるが、それは力業でなくて何だろうか。しかもそのことで、極薄のLucyは逃れ去る。  同じようにして、極薄のJesus Christは易々と墓所から失踪し、Messiah を意味として現実にするしるしが、釘づけの磔刑の十字から復活までのざわめきなのであるが、このざわめきを現実にする影としての物、しるしが占める場所としての物は一体何だろうか。  この、しるしを現実にする影としての物は優越しているというのではなく、しるしの最終状態であるにしても、この、物>場所の層からしるし>物の層に音もなく移って潜む物は、しるし(>物)が解離しても、解離した物(>場所)が隠れていたものが顕れる効果に包まれるようには顕れない。それは、「一体何だろうか」という問を頓挫させるのである。

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