碧空1236 MOON WALK154(罪の起原)
1236 MOON WALK154(罪の起原)
Hegel の関心は精神の起原や現象そのものではなく、その説得術や伝達である。主体が客体に仮装することで、暴かれなさが行き渡るからである。一方Kierkegaard の苛立ちは、隠れなさは説得や伝達するものではないのに話さずにはいられないからである。
罪が盗まれるなどということは審美的であるが、それは種が盗まれることでもあるから、罪の進化というようなものを考えたくもなる。
この世のものとこの世の関係である存在は、個と種の間が解離しないこと(1=0.9 ・・・)から解離すること(1=0.9 ・・・)へ振動すると、認識に変態する。個を現勢にして種(責め)が身を潜めること(羽化と蛹化)の半陰影から、しるしを現勢にしてこの世のものの、その1の羽化を前触れること(蛹化)へ変態するのである。罪は不可逆的に進化するというより、振動する。夜会服を着た単身像のキャビネ判がアイリーン・アドラーの羽化を前触れるのは認識であるが、陰画が現像液に浸されて陽画が浮かび上がって来る羽化にゴーストがかかる蛹化は認識が解けている。
主体が客体に仮装するに過ぎないために、ミステリの源流を尋ねるとゴシックの源流に出てしまい、種の起原を尋ねると精神の起原が変装を解いておどろいたりするのである。


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