Monday, October 14, 2019

碧空1594 phantom circuit102(フランスの原野の、チェコスロバキアとポーランドの国境の、黙示)

1594 phantom circuit102(フランスの原野の、チェコスロバキアとポーランドの国境の、黙示)  個が魔法がかるのは種の三重性や個の三重の位格(現実性、媒体性、幽霊性)に被曝するのであるし、個がその思いがけなさをあさましがるのは種の夢を担ぐのである。その思いがけない個が悪夢であるのは、良心の三重性や悪の三重の位格にいつの間にか変脱するのであるし、その思いがけない悪が制御不能の症状であるのは極端に私的に無意識を担ぐのである。  思いがけなく極端に私的な細部が生首を担ぐ理解は、肺腑を抉る。生首を概念的に理解する無意識ではなく、極端に私的な細部としての無意識を生首は身体的に理解するが、その身体的な理解は言葉が没交渉であるから神通も同然である。ヴァイドマンが(生首となって)出没するフランスの原野の、その顔の上を彷徨う図が極端に私的な細部である魔法は、無意識が生首を範疇的に理解するのではなく、生首が生首を身体的に理解するのである。この二つの生首は区別がおかされる。その、「私」が終わるところで極端に私的になる超絶隠語の閃きは理解というより、響である。問と解が解離して概念的なのではなく、解離しないで身体的な一回限りの黙示なのである。  フランスの原野の葛藤の、症状としての生首が底知れぬ命令のように振る舞い、ヴァイドマンの生首となって祟る。フランスの原野は、そのようなmetamorphosis なのである。あの、広がるライ麦畑の何処かに息を潜めているはずのチェコスロバキアとポーランドの国境が、鬱然と「貴婦人と一角獣」となって姿を現わすと同時に姿を晦ます閃光も、「私」が終わるところで極端に私的になって鬱勃と「百年に一度姿を現わす都」のように祟るのである。

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