Tuesday, June 02, 2020

碧空1757 nautilus100(異象のしるし、あるいは記念)

1757 nautilus100(異象のしるし、あるいは記念)  アブラハムにヤーウェが顕れて、後れて来るはずの主体は途中までしかやって来ないで導かれることになる。カナンの地となって姿を現わすと同時に姿を晦ましたヤーウェの顔の上に呼び出しを食らうのである。  土地の占有の徴として旗を立てることは何の根拠もない儀式であるが、同ジヨウニシテ、ヤーウェがカナンの地に寄寓していることの徴として割禮、すなわち陽の皮を割るのである。  アブラムとサライの焦燥、葛藤はサライが石女であることから来るのであるが、その一つの(偶然の、悪い)解決としての即興的表現が、サライの器官を延長して侍女ハガルとなってイシマエルを産む分業であるが、これはそもそも雌雄異体の気配の(初めてであるかのように始まる)姦通性の、その再発である。命令「の」伝達の即興的表現、その忘れないように忘れる亡命(解決)が、その二次段階で分業に解消してしまう現実と、99歳のアブラハムと90歳のサラがイサクを孕むというような反直観的異象とを峻別するしるし、あるいは記念として、同ジヨウニシテ、アブラムとサライはアブラハムとサラに何も変わっていないのにとり替えられてしまう。

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