Thursday, March 04, 2021

碧空1929 nautilus371(「私」(が入れ替わる何かの間違い)ノ精)

1929 nautilus371(「私」(が入れ替わる何かの間違い)ノ精)  相生町護国神社前、紙屋町の交叉点、八丁堀の交叉点を矢代先生は通りかかる。智恵子は八丁堀で電車に乗るところを見られているし、赤十字病院の前でも目撃されている。丁度その頃、揚子江流域で1,800 ㎞ノ山岳を隔てて小幡耕二は何をしているのか。(nautilus370)  矢代先生となって通りかかり、智恵子となって目撃されているのである。何モシテイナイノニ被曝する毒草となって姿を現わさないではいない疾しさは、俗説に従えば、記憶喪失や麻酔から醒めるかのように耕二ノ魂と矢代先生ノ、そして智恵子ノ魂と入れ替わって、誰もいなくなるのである。  予定通り、しかも偶然通りかかり偶然目撃された片隅は真に迫る光景に見えて悪や偽や何かの間違いであるような症状となって姿を現わすから、その、とり返しのつかない片隅までタイム・スリップしてplotを何か償おうと試みたくなる。  運命は、そんなふうにして、毒草を何度ものぞきに戻らないではいないし、1,800 ㎞ノ記憶喪失のような山岳を隔てて「私」(が入れ替わる何かの間違い)ノ精でいきなり贖罪!に被曝し、その猛威を、片隅の被爆が(極端に私的な片隅にならないように)償うようにコピーするのである。

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