Sunday, January 19, 2014

碧騒389 青い紅玉にSherlockは魘される

389 青い紅玉にSherlockは魘される  物が光り出すのは、物が光速に到達したのではなく、「物へゆく」に頓挫したのである。光が禍る、それは幸なのか禍なのか。青く光る柘榴石を盗み出したくなる衝動は、私有制に単に違反するのではない。それは、一度も盗まれていないのに盗まれていることの発見だからである。発見というよりは覚醒、覚醒というよりは催眠術にかけられているようで、発見なのに覗き穴が盗まれていて、何か筒抜けで、青い紅玉に導かれてしまうというふうだ。  釣鉤を紛失したかのように海の底の魚の口に隠しておくことに対応しているのは、青く光る柘榴石を鵞鳥の喉の奥深く(胃袋)に隠しておいたのに鵞鳥が人の手から人の手に渡ってクリスマスの雑踏に紛れ込んでしまうことである。わざとではないかのように。これは、盗まれていないのに盗まれている葛藤、零度の経験が、古事記版とHolmes版とに吹き替えられているのである。  推理に導かれたのではなく、青く光る柘榴石は、路上で鵞鳥を拾得する他の誰かの手となって延びたSherlockの手元に迷い込んで来る、器官を延長したとも知らずに、わざとではないかのように。思いがけない拾得というものは覗き穴の発見であるが、覗き穴が盗まれていることとのけじめがつかなくなるのは、拾得が管を通されているのである。こうした気配に、Sherlockは漠として魘される。誰かが誘惑から青の柘榴石を盗むことと盗まれることの、青の柘榴石の隠匿とわざとではないかのような紛失と拾得の、そのけじめが掻き消えて、「The Blue Carbuncle」が分節する、その渾身の分業は吹き替えられ、推理が麻痺してしまう。Sherlockが漠として不快なのは、渾身の器官の延長の、その渾身の拾得、紛失、隠匿が収斂する、その零度の経験が、何か精神分析されているからである。犯人を追い詰めるわざは実は犯人であることからの遁走である、というように。

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