碧空814 二重の魂(「私」というものの危機)
814 二重の魂(「私」というものの危機)
一体絶景はこの世のものであるだろうか。世界の終わりはこの世なのだろうか。しかしそうではなく、この世のものとこの世が解離しない、その裂目が世界の終わりなのである。問としての種の夢と解としての種の夢が解離しない、この裂目では、解としての種の夢のために間に合わされた「私」と、問としての種の夢との区別もおかされる。魂の二重性が解離しないのである。
「私」は魂の二重性に面して、狼狽から、目を瞑って見ない。二重性が解離する擬態は、こうした転移発作である。二重性が眠り込み、二重性を隠すこと、すなわち貯蔵の起原である。「私」が棲息するこの世の法則的なもの(個別化すると同時に一般化する解離)と歴史的なもの(部分が全体を代表する解離)とが日常性の、その保存と惰性を支えるのであるが、これは、霊的形式(問としての予期)が具体(解)となると同時に具体が占める場所となって潜伏する解離が具体の次元に転位、変容するだけでなく、魂の二重性が解離する擬態である。「私」というものは、その起原に面して脅かされ、狼狽するのである。既視感が「私」というものの危機であるのに郷愁のように報告されたりするのは、その精である。それは、一般性が保存されない失語症のように、問としての種の夢が潜伏しない。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home