Monday, October 10, 2016

碧空865 もう一つのヨシャパテの谷、擬死のエラー

865 もう一つのヨシャパテの谷、擬死のエラー  最後の審判の舞台ヨシャパテの谷 そこで、どんな物語も絶対の不平等に合流する。W.Faulknerのヨクナパトーファ郡を覆う「響きと怒り」は、そうした合流の気配である。  妹の処女膜を近親姦的に守ろうとしたのではなく、処女性という壊れやすい薄膜がコンプソン家の薄氷を踏まずにはいられない運命を映し出す媒体である、といった予言的、審判的な観念を守ろうとした兄クェンティン三世の偏執が(目的と手段が解離しない、極端に私的な命令が)、その見てはならない影を(いつまでも1にならない、守るどころか失われると言うだけの値打ちもなく、何でもなく、なしで済ませる薄膜、といった被造物の影を (さらには、その、妹キャンダシーの姿をして婚前に不義に身ごもっていた娘、クェンティンと名づけられることになる娘の、その、キャンダシーに瓜二つの姿をしてコンプソン家の運命を手相のように要約して薄膜をしぶとく相続する影を ))落とす、そうした合流に抵抗するように憤る如く起こるクェンティン三世の自殺は、こうした、救済が襲いかかる合流を(ヨシャパテの谷を)耐えしのぶための擬死発作の、その、こらえ損ねたエラーなのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home