Sunday, March 17, 2019

碧空1454 MOON WALK372(思いがけない景色を見て和蘭陀に流される)

1454 MOON WALK372(思いがけない景色を見て和蘭陀に流される)  その手毬唄は、津々浦々、隈々を探し尋ねる黒門の若い逗留者の喉元まで上り詰めて来ているのだが度忘れ状態にあればこそかどわかされたかのように探し回るのである。それは、生まれる前の不気味な(丑の年の、丑の月の丑の日の、丑の刻限を待って、娘が、誰もいない座敷の片隅に鏡を据えて凝っとのぞき込んでいると、身に覚えのない約束の人が現われて来る、というように不気味な)羊水に浮かんだ生活が漠として予期している「母の美しい胸」の弾力や突起のように、胸掻き毟るように懐かしい。それは、大都会そのものに魘されるように膨れ上がったホテルの入り組んだ廊下に呑み込まれ、慥かにあるはずの部屋の番号を探して回るようなもので、番号は思い出せないが、それでも彷徨うのは、その番号を見ればアア、コレダッタノダ!と電撃的に番号が過去形で出現するはずだからである。(「草迷宮」泉鏡花)  この、過去形で出現する電撃の今は、幽霊船のように今を主張するのであるが、この、身に覚えのない約束の(運命の)造形の異本が地球の遊弋であるのは、解としての幽霊船が問のように振る舞っているのである。同じようにして、地球の遊弋はUFO が異本となるように振る舞って潜伏する。幽霊船、地球の遊弋、UFO はparamorph であり、その系統発生の永久機関は隠喩性(metamorphosis )である。UFO が出現するために地球の遊弋は潜伏し、地球の遊弋が出現するために幽霊船は潜伏し、幽霊船が出現するために身に覚えのない約束は潜伏するのである。  コペルニクス的転回は、出現するために潜伏するのではなく、潜伏していたものが暴かれるように(隠れていたものが顕れる効果を隠蓑にして)祟る。地球の遊弋は、過冷却状態の現在を媒質にして祟ることになる。しかしそれは、幽霊船やUFO が怪異として、「過冷却状態の現在」を媒質にして異常な時間や異常な運動に見える反直観的な怪異として祟るのではない。  「ひとりでに持ち上がる畳」や「宙に浮く行燈」あるいは思いがけない景色を見て流されることが怪異あるいは異様な症状を以て発作的に模写しているのは、疚しさとなって潜伏している予期が蛇のように喉元まで上り詰めて来ている「和蘭陀」である。

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